もう昨年の事になるが、 記憶があせないうちに書き残しておこうと思う。
昨年の10月末に、同じく湯布院でお店を構える人気店creeksの谷川氏(イベント実行委員長)にお誘い頂いて、長崎県の川棚町という場所で行われてた「WTK」 というイベントに参加してきました。
本来は最初から最後までお手伝いしたかったのですが、仕事の都合の為今回は当日撮影協力という形で参加させていただきました 涙
*以下写真の無断使用、転載、複写を禁止致します。
「WTK」とは?
A WITNESS TO KOHBARUの略で長崎県東彼杵群川棚町川原地区(かわたなまちこうばるちく)で行われる、ダム建設に沈もうとしている小さな村でもう一度ダム建設について皆で向き合ってみようという音楽イベントでした。
専用ホームページを見ても分かるように、主催者はそうそうたる面々となっていますが、実際このイベントのメインは、この地域に住む、住民の方々です。
WTKの趣旨に賛同した歌手、アーティストの方々がステージ上でその想いを代弁するかのように熱く熱唱し、この地区の方々を勇気づけている姿が印象的でした。
そして何よりも印象的だったのが、田んぼのど真中に設営されたライブ会場です!!
事前のお知らせで、ライブには長靴必須!ということでしたので、準備準備。
やはり持っていって正解でしたが、子供達にとっては最高の遊び場となっていました。
なかなか前例のない会場準備にはとても苦労したと実行委員長の後日談。
話を聞くだけで、大変だったのが想像できます。
直前まで開催可能か分からないほど苦労して仕上げた会場はアットホームでアーティストさんとの距離も近く、唯一無二の素晴らし会場であったと思います。
ただの音楽フェスとは違う!?
そもそのこのイベントの発端は、元々、ダム建設問題でこの地域の人々を支援していたアウトドアウェアメーカーのpatagoniaと、それに賛同したapbankの小林武史氏の発案から始まったそうで、もっと多くの人に、このダムに沈もうとしている美しい地域に住んでいる人たちの事を知ってもらいたいという想いがあったようです。
この川原地区でのダム建設に関しては、昭和50年から話が進んでおり、賛成派の地域住民は既に補償を貰い他の地域に移り住んだ人たちもいますが、一部の住民はこれに反対の意向を示し続け、この地域に住み続けているそうです。*川棚町HP参照
ダム建設の立ち退き問題は実際、日本中にあることだと思います。
この川棚町に限った事ではなく、現在も係争中の場所は沢山あることでしょう。
私個人の意見としてはダム建設そのものが不要・反対とは思いませんが、今回取り上げられているこの川棚町の件については、佐世保市の将来的な水不足問題に対する対策の為ということですが、その根拠となる資料や数値が曖昧で不明瞭であるため地元住民(地権者)からの理解が得られていないという現状です。
パワーバランスで言えば、明らかに行政当局よりも少数の地域住民の方々の力の方が弱いわけですから、もう一度この問題を見直しましょうと言っても話にならないというのが現状のようです。
そこでサポートに動き出したのが上述した方々という事になります。
これは他人ごとなのか?
アウトドアアクティビティを愛する方々ならだれでもこの問題に無関心でいられることはできないでしょう。
実際、私自身も大分県の山の中のちいさな田舎町に住んでいますし、登山、釣り、MTB、キャンプなどのアクティビティが大好きです。
また、写真を撮る人間としても、美しい自然の風景は何よりも重要な被写体です。
今回、美しい川棚町を訪れて、私が住む地域の風景に似ている部分もあり、とても親近感を得ました。
この風景が無くなってしまうのか、と、とてもリアルに感じました。
当たり前と思っているもの程もう一度見つめ直すことは必要であると思いますし、失ってしまえば取り戻すことができないものがあると思います。
今回のイベントは基本的に反対派の方々の意向が強く出ているイベントでしたが、同時に賛成派の方々の意見も公にされ、公の場で議論が尽くされる事が最も重要であると感じました。
「それ(ダム)を作る事で誰が得をするのか?本当に必要なものなのか?」
これを明確にすることが最も重要であり、そこに虚偽や怠慢があってはいけない事だと思います。
これを書いている私自身は別に社会活動家ではありませんが、今回参加する機会を得て、改めて自分が同じ立場であったらという考えを持つ機会となりました。
人が何を大切にして何を優先順位にするかは、ヒトそれぞれかもしれませんが、間違いなく私達人間は皆、この地球という生態系の中で生きているので、その根底を自ら破壊する行為は好ましくないと思います。
人間に与えられた知恵を駆使して、もっと良い方法を当事者を中心として皆で考えることが大切だと思いました。
歴史は繰り返す
最後に、私が住む湯布院町も昔、ダムに沈むかもしれない危機があったそうで
す。
その時の出来事を、湯布院を代表する人物の中谷健太郎氏の言葉で著書にこう記してありました。
"その頃、なぜかダムの話が湧いて出た。中略.......
騒ぎはどんどんエスカレートして、首長選挙にもつれこみ、竹槍を持った青年たちが、村の角々に篝火を焚いて張り番に立った。結局、反対派の青年団長・岩男氏が当選してダムの話は消滅したのだが、「もしもダムができていたら」と考えると、歴史に「もしも」はないと承知はしているが、そんな言葉が世に生き継ぐ程に、歴史はしばしば思わぬ展開をみせるのだろう。「紙一重」「風の吹きよう」「運命のいたずら」で、歴史は大きく変容する。その歴史に巻き込まれて流され果てるのは人間であるけれど、その歴史を「紙一重」の意思や行動で一挙に変えるのも人間だ。だから生きていたいと思う。"
この問題が、まずは多くの人たちの目に触れて、活発な意見交換が巻き起こることが重要だとお思いますし、私自身も継続的に目を向けていきたいと思います。
自然を愛し、自然に親しむ子供たちが増えていくことを願ってやみません。